Good Job!セミナー「国際的な仕事」?世界が相手だっ!編 #3 『ジャーナリストの仕事』NGOプレス報告(後半)
カテゴリ : NGOプレス
投稿者: Taki 掲載日: 2007-2-23
Good Job!セミナー「国際的な仕事」?世界が相手だっ!編 #3 『ジャーナリストの仕事』NGOプレス報告(後半)


Good Job!セミナー「国際的な仕事」?世界が相手だっ!編 #3 『ジャーナリストの仕事』NGOプレス報告(前半)の続きです。


以上が出川さんにお話していただいた講演の内容です。講演終了後は、会場の参加者と質疑応答が行われました。

Q,取材の最中に、もしくは現地で生命の危機を感じたことはありますか?
A,そういうケースは、めったにありませんが、少しはありました。
イラク報道で、NHKは、記者2名・カメラマン1名、もしくは、記者1名・カメラマン1名というチームで、1か月半ごとのローテーションをつくって、これまで切れ目なく、現地取材班を置いてきました。今のイラクでは、治安の悪化が著しく進み、誘拐や銃撃、爆弾テロ事件が頻発しています。外国人が外を出歩くのは極めて危険です。このため、ローカルスタッフ、つまり、イラク人のリサーチャーやカメラマンに訓練を施し、細かく指示を出して、われわれのかわりに取材活動をしてもらっています。警察は全く頼りにならないため、独自に民間の軍事警備会社やイラク人の警備員を雇って、自力で安全を守る態勢を整えています。
パレスチナでは、まさに自分自身の生命の危険を感じる出来事に遭遇しました。武力衝突が起こった現場に、少し時間が経った後で訪れたときのことです。300メートルほど離れた場所からデジカメで撮影していると、そこに停まっていたイスラエル軍の戦車の大砲が突然回転し、砲身がこちらに向けられたのが見えました。あわてて小屋の影に隠れました。次の瞬間、何と、イスラエルの兵士が私を銃撃してきました。大砲ではありませんでしたが。何発もの銃弾が、自分の足元の近くで土煙を上げました。この時には、全身の血が逆流するような感覚で、「命がないかな」と思いました。まさか自分が撃たれるとは思っていませんでした。気持ちを落ち着かせ、しばらくして、現場を脱出することができました。
私は、これまでに、取材中にけがをしたことはありませんが、私の同僚や仲間には、仕事中に命を落とした者や、大けがをした者がいます。記者やカメラマンは、危険にさらされることがあるのです。こうした悲劇が相次いだことを教訓にして、NHKは、現在、安全対策に力を入れています。基本的には、危険な場所には近づかないようにしていますし、取材活動では、常に細心の注意を払っています。そのための態勢づくりをして、費用もかけています。「安全第一」の考え方を徹底させているのです。

Q,この仕事をやめたいと思ったことはありますか?
A,国際報道に携わってからはやめようと思ったことは一度もありません。きつい仕事ですが、嫌だと思ったこともありません。むしろ、とてもおもしろく、やりがいがあります。
新人時代はやめたいと思ったことがあります。どこの報道機関でも、記者は、駆け出しのころは、地方で警察取材、つまり、事件・事故の取材ばかりをやらされます。報道の世界では、警察回り(俗に言う“サツ回り”)は、あらゆる取材の基礎とされています。ニュースとは何か、取材対象とどのようにして信頼関係を築くのかなどを、日々の仕事を通して身につけてゆくのです。その要領さえつかめば、将来、どの部署に行っても、記者として通用します。しかし、記者になったばかりの頃は、そのようなことはわかりませんし、毎日毎日、事件・事故の取材ばかりで、将来、志望する国際報道の仕事につくことができるのかどうか、全く見通しがつきませんでした。自分は、こんなところで、こんなことを何年もやっていて大丈夫なんだろうか。これは、記者ならば誰もが思うことではないでしょうか。


Q,最初の海外の勤務地がイランだった理由は何ですか?
A,まったくの巡りあわせです。入局や東京転勤の時期が1年でもずれていたら、全く別の国や地域に赴任していたかも知れません。私としては、国際報道の仕事ができるなら、どこでもよかった。とにかく、1日でも早く海外特派員になりたかったのです。たまたま、東京・国際部に転勤した直後に、湾岸危機、湾岸戦争が始まり、中東情勢が大きな注目を集めた。しかも、テヘラン支局の前任の特派員が帰国することになって、私のところにチャンスが巡って来た、ということなんです。

Q,見方が対立する問題を扱う場合、当事者の意見をよく聴くといいましたが、当事者の言葉が真理であるとお考えですか?
A,もちろん当事者も、思い込みや勘違いすることもありますし、意図的に真実を語らないことも多いので、当事者のことばが真理であるとは言えません。私が言いたかったのは、対立する問題については、少なくとも、双方の当事者の言い分をよく聴く必要があるということです。そのうえで、当事者の話と、それに関連するあらゆる情報をつき合わせて、つじつまが合うかどうかを調べないといけません。当事者の話を聞くだけで全体像が把握できるわけではありません。

Q,国際報道に性差はありますか?
A,女性にも活躍するチャンスがあります。私の同僚には女性の記者もいますが、極めて優秀です。イラクやパレスチナに派遣された女性記者もいます。社会や世の中の動きについて、女性なりの視点で、とても良い捉え方をします。欧米の報道機関を見ても、戦争報道でも、女性が活躍しています。必ずしも男性でなければならないとは思いません。家族を持つようになった場合、子どもができた場合、両立するのが難しいという問題はありますが、ジャーナリストとしての能力の点で性差があるとは思いません。私が就職した頃と比べて、最近では、女性記者の数がずいぶん増えました。女性に対する門戸は確実に開かれてきています。ジャーナリストとしての適性があるか、続けてやってゆこうという気持ちがあるかどうかが大切だと思います。

Q, ニュースの際に意見を言うのはどうか
A,原則として、記者は、事実を正確に伝えるのが仕事で、意見を言うことは求められていません。解説委員や論説委員は、ニュースとなっている問題について、分析したり、見方を示したり、提言することもあります。ただし、どんな場合でも、事実に基づいていることが重要です。事実に基づかないことは、報道の仕事では扱えません。自分なりの見方や意見を表明する場合には、その判断の根拠、裏づけとなる事実をしっかりと示すことが大切です。

Q,いままでに人生観が変わったことはありますか?
A,毎日の記者生活の中で、少しずつ変わってゆくものだと思います。一つの事件で、見方が劇的に変わるということは少ないですね。ただ、東西冷戦が続く時代に生まれ、学生時代を過ごした私にとって、ソビエト連邦の崩壊を目の当たりにして、「この世に永遠に続くものなど存在しない」ということを強く感じました。また、戦乱の中東から日本へ帰ってくると、「日本はとても平和だ」「平和であることが、いかにありがたいことか」ということを痛感させられます。

Q, 将来、国際ジャーナリストになるために、学生のうちにやっておくべきことを教えてください。
A,ジャーナリストになるための受験勉強はしなくてもいいと思います。何事も、目的意識・問題意識を持ってしっかりやることが大事です。大学時代に何をしたか。何に真剣に取り組んだか。「○○をやったんだ!」とはっきり言える何かを持つことが大切だと思います。自分の関心のあるテーマを、継続的に見ていくことが大切です。また、報道機関の採用試験では、文章力が問われます。論理的で説得力のある文章を書くための訓練を積み重ねてゆくことは、役にたつと思います。

Q,日本の国際報道の少なさについてどう思いますか?
A,確かに、イギリスのBBCやアメリカのCNNに比べると少ないですね。これは日本の報道機関が国内ニュースを優先させてきた名残です。しかし、この15年?20年を見ると、全体の中で、国際報道が占める割合は、確実に上がってきています。「まだまだ少ない」と思いますが、これからは、世界の出来事を日本の人たちに伝えることだけでなく、日本発の情報を世界に向けて発信してゆくことも大きな課題だと思います。


そして最後に、出川さんから来場者へのメッセージが述べられました。

「職業選択では、使命感を持つことができるか、達成感を感じられるかということが重要だと思います。国際報道の世界に進むならば、異なる文化、異なる考え方を理解しようとする柔軟な姿勢、現地の人々と信頼関係を築くことのできる豊かな人間性も必要です。人の心がわからなければ、ジャーナリストとして成功しません。外国語ができるということも必要ですが、こちらの方が、いっそう重要です。言葉の壁は、優秀な通訳を雇えば乗り越えられるからです。また、困難に直面してもへこたれない芯の強さや、異なる文化や習慣に接した時、それを面白いと感じることができる柔軟性も、重要な資質だと思います。戦乱や貧困で苦しんでいる国々を取材していると、現地で活躍する日本の若い人たちに会えることがあります。現地の人たちといっしょに考え、悩み、一生懸命働いて、問題を克服してゆく、そんな日本人の姿を見ると、大変、頼もしく、勇気づけられます。パレスチナで、恵まれない子どもたちの面倒を見ている青年や、内戦が続いたタジキスタンで、国づくりの支援に取り組む女性。ニュースリポートで紹介したこともあります。国際社会が、日本人に期待しているものは大きいと思います。皆さんの中からも、そんな人が出てきてほしいと思います。」

その後、短い時間ですが、別室でインタビューをさせていただきました。

 出川さんは、アフガニスタンに取材に行ったことがあるということなので、個人的にも思い入れのあるアフガニスタンについて聞いてみました。
2001年12月から2002年1月まで、およそ1か月間、首都カブールで、取材活動をされたそうで、アフガニスタンの人々は、長い間、戦争につぐ戦争に苦しめられ、やっと戻ってきた平和と自由に、大きな期待を寄せていたということです。旧タリバン政権は、人々がテレビを見ることも禁止していましたが、そのような状況でも、アフガニスタンの国営放送局は、日本製の放送機器を大切に保存していたそうです。タリバン政権の崩壊によって、テレビを自由に見ることができるようになり、人々は、外国から輸入された衛星放送の受信機を争うように買い求め、受信用のパラボラ・アンテナが品切れになると、空き缶を切り刻んで作った手づくりのアンテナを使って視聴していたというお話はとても興味深かったです。

 出川さんのお話を聞き、「好きな仕事をする」喜びや、それを生きがいにして、様々な苦難も乗り越える力強さがひしひしと伝わってきました。「本当にやりがいがあると思える仕事なら、辛くても、やる気がわいてくる。面白いと思えなければ、続けられない」という言葉はとても説得力がありました。ジャーナリストという仕事は、ときに危険をともない、いつも忙しく、プライベートな生活がおろそかになるとおっしゃっていましたが、それでも、面白い!と言える仕事をされている出川さんは、生き生きとしていて、私にもパワーを頂きました。会場には私も含めスーツ姿の大学生がたくさん来ていました。おそらく就職活動中なのだろう。出川さんの、日本の若い人たちの活躍に期待している、とのメッセージは多くの人の心に印象深く残ったのではないかと思います。今回のセミナーは貴重なお話をたくさん聞くことのできた、有意義なものとなりました。

(文責 春日美里 丸山洋平)