Good Job!セミナー「国際的な仕事」?世界が相手だっ!編 #3 『ジャーナリストの仕事』NGOプレス報告(前半)
カテゴリ : NGOプレス
投稿者: Taki 掲載日: 2007-2-6
Good Job!セミナー「国際的な仕事」?世界が相手だっ!編 #3 『ジャーナリストの仕事』NGOプレス報告(前半)

1月31日(水)、JICA地球ひろばにて、Good Job!セミナー「国際的な仕事」(JICA地球ひろば・NHK共催)が開催されました。

第3回目は、
1990年代初頭から今まで、激動の中東、イスラム世界で国際報道に携わったNHK解説委員の出川展恒氏に、「国際ジャーナリストの仕事」について、お話していただきました。

前半と後半の2回に分けてレポートいたします。

NGO特派員 春日美里さん 丸山洋平さんからのレポート


 今回のJICA地球ひろばGood job!セミナー第3回、「ジャーナリストの仕事」は私たちの興味のある中東地域の専門家の方がお話されるということで、とても楽しみにしていました。

会場は、リクルートスーツの学生が多く参加されていました。

 癒しの音楽の代表的でもあるエンヤの曲がかかる中で今回のセミナーは始まりました。これは、今回の講師、現在NHK解説委員を務めておられる出川さんのお気に入りのCDだそうです。戦争やテロの現場に取材に行くこともあり、その中で気持ちを静めてくれるエンヤの曲が好きになったそうです。その後、暫く司会の倉科さんとのやりとりが続く。



Q,子ども時代はどんな子どもでしたか?
A,スポーツ、特に野球が好きでした。小学生から大学時代まで、ずっとやっていましたし、プレーするのも観戦するのも好きです。中東から帰国した今も、しばしばプロ野球の試合を見に行っています。去年秋のパリーグの優勝争いは見ごたえがありましたね。子どもの頃はプロ野球選手になりたかったですね。

Q,もともと、ジャーナリストの仕事に興味があったのですか?
A,はい。子どもの頃、「NHK特派員報告」という番組を見て、興味を持ちました。当時は、外国で仕事をすること自体が特別の響きを持っていました。海外の最新情勢を報道する仕事がとても面白そうに感じました。テレビに出ることよりも、世界で起きている歴史的な出来事に立ち会いたいと思っていました。はじめは、番組ディレクター希望で、ドキュメンタリーを作りたかった。NHKの就職の最終面接で、「記者にならないか」と言われ、即座に「はい」と答え、今に至ります。

Q,会場には学生の皆さんも多いので、今後就職されると思うのですが、就職のポイントとは?
A,NHKの場合は、願書提出の時から面接があって、面接が大事ですね。面接というのは、人と人の短い接触の中で、人柄も含めて、直観的に判断されるものです。NHKに入ってやりたいと思っている事は何か、学生時代、何をしてきたか、自分のセールスポイントは何かなどを、しっかりとアピールすることが大切です。あとは文章力。願書も筆記試験も、わかりやすく、論理的に、いきいきと書けるかどうか。論理的な文章を書く。これは、なかなか一朝一夕には身に着きません。余談ですが、学生時代にスポーツをしていると、割と有利かもしれませんね。体力があるとか、労力を惜しまず前向きに行動するとか、チームワークを大事にするとかなどが、プラスに評価されるのではないでしょうか。



Q,最初から専門は中東だったのですか?
A,そうではありません。中東との出会いは、まさに、ハプニングでした。1985年にNHKに入局し、九州の佐賀で、5年間、駆け出しの記者をやりました。日本の報道機関は、新人の記者を地方に送り出し、そこで修業させるやり方をとっています。4年目に、有名な「吉野ヶ里遺跡」が発見され、大きなニュースになりました。発掘の現場に毎日通いました。そして1990年の7月、東京の国際部に転勤し、希望だった国際報道に携わることになりました。その直後の90年8月に、イラク軍がクウェートに侵攻し、湾岸危機が始まりました。91年の湾岸戦争の直後に、イランの首都テヘランに特派員として送り出されました。生まれて初めて、海外で生活することになり、興奮しました。1年弱のテヘラン駐在でしたが、その間、イランの北に広がるソビエト連邦の崩壊にも立ち会いました。アゼルバイジャンに出張中に、何とソビエト連邦が崩壊したのです。信じられないような話です。ソビエト連邦の最後の日は、首都モスクワにいました。ゴルバチョフ大統領の辞任のテレビ演説、共産党の赤い旗がクレムリンから降ろされるところを見ました。国際部に帰任してからは、ソビエトを構成していた中央アジアの新しい独立国家を片っ端から取材して回りました。
 93年9月、中東では歴史的な和平の動きがありました。敵対関係にあったイスラエルとPLO・パレスチナ解放機構が相互承認し、パレスチナ暫定自治合意に調印したのです。中東和平を報道するため、NHKは、翌94年、エルサレムに新しい支局を作り、その初代特派員を務めました。中東和平が前進したり、過激派のテロの影響で後戻りしたりで、事態は毎日、目まぐるしく動きました。「三歩進んで二歩下がる」という感じでしょうか。これを必死に追いかけ、中東報道にのめりこんでいきました。
 もし、佐賀から東京・国際部に転勤するタイミングが1年ずれていたら、全く違う地域を担当していたかも知れません。エルサレムの4年間で、中東報道を続けてゆこうと決意しました。98年に国際部に戻り、2001年9月の同時多発テロ事件以降は、毎日テレビで最新情勢を解説したり、アフガニスタンに取材に行ったりしました。その後、2002年にカイロ支局に転勤しました。赴任前から、アメリカが、フセイン政権を打倒する意思を固めていることがわかったので、イラク報道が主な仕事になることを予想していました。結局、その通りになりました。イラクには、戦争前から数えると17回出張しました。合わせるとまる2年位になります。中東報道に携わって17年になります。偶然始まったことですが、ふり返ってみれば、数々の歴史的な事件に遭遇し、恵まれた記者生活だったと思います。



 出川さんの経歴や中東との出会いに、参加者は興味深く耳を傾けていました。
その後、これから就職する皆さんに、国際ジャーナリストの「仕事の内容」、「おもしろさ」、「難しさ」の3つについてお話をしていただきました。

■ 仕事の内容
ニュース報道とは、「世の中の新しい動きや重要な情報を、事実に基づき、世の中の人たちに広く伝える仕事」です。必要な事実や情報を伝え、視聴者に理解、判断するための材料を提供する。そのためには、報道するべきことかどうかを考え、ひとつひとつの事実が正確かどうかを確認したうえで伝えなければならない。事実と記者の意見、推測を明確に区別しなければならない、と教えられました。国際報道について言えば、歴史的・文化的背景も含めて、日本の人々が良く理解できるように伝えなければなりません。
放送の場合は速報性が命です。また、テレビの場合は、映像と音声も重要です。映像と音声を、いかに早く獲得し、送るかという勝負です。外国のテレビ配信会社やテレビ局などとも協力関係を作って、映像を入手します。ひとつ具体例をお話します。私が、中東和平の報道に携わっていた95年11月4日、イスラエルのラビン首相が、テルアビブでの平和集会で演説を行った直後に、ユダヤ人の青年に銃で撃たれ、暗殺されました。私はその集会を取材していました。ラビン首相が担ぎ込まれた病院の前から、携帯電話で、「今、ラビン首相が亡くなりました」と東京に報告すると、「そのまま、携帯電話で中継リポートしろ」と言われました。すぐに「臨時ニュース」が始まり、携帯電話で現場の様子を、見たまま、夢中で話しました。一生忘れられない体験です。また、ラビン首相が撃たれる瞬間を、一般の市民が、偶然、ビデオで撮影していたことがわかりました。その映像をめぐって、世界中のテレビ局の間で争奪戦が起こり、いくつかの会社と共同で、持ち主と交渉にあたり、その映像の放送権を買い取りました。

最近では技術の進歩によって、あらゆる現場から、伝送施設やパソコンからも映像を伝送できるようになり、世界のどこからでも中継ができるようになりました。しかし技術的には可能であっても、政治的な規制が厳しい国もあります。一般的に、中東地域では、報道に対する規制が厳しく、困難の連続です。

■ 仕事の面白さ
なによりも「世界史・現代史の生き証人」になれることです。重要な歴史的な事件の現場に身を置いて、それを直接目撃できる。当事者に会える。そのうえで、自分が見たり、聞いたり、感じたことを、多くの人たちに自分の言葉で伝える。これは非常に大きな喜びです。視聴者の皆さんがその出来事を知り、理解するのは、自分の原稿やリポート、映像を通してということになります。伝える側が間違った認識をしてしまうと、その間違いは、そのまま、多くの人に伝わり、誤解を広げてしまうことになります。ですから、放送する内容の一部始終を、細部にわたって、事前に注意深くチェックする必要があります。

 いろいろな人にインタビューや面会などで会うことができます。大統領、首相、専門家、犯罪者、被害者、一般市民、難民・・・あらゆる種類の人々に実際に会って話を聞くことができます。その内容をどう選択し、どう解釈し、どう伝えるかについて、たえず格闘しています。大変わくわくする一方で、責任の重さを感じます。

 実は、現地での取材は、少人数で、限られた時間の中でやっているため、直接得られる情報は限られます。公式に発表された情報や、他のメディアの伝えた情報、その出来事に関するこれまでに蓄積された情報と照らし合わせて、「整合性があるか」、「つじつまがあうか」、「論理的であるか」を見極めていきます。つじつまが合わない場合は、どこかに間違いがあるはずです。その問題や出来事の流れや全体像を把握していないと、その間違いに気がつきません。よく言われるのは、「木を見て森を見ず」になるな、ということです。われわれが、現場で取材して得られる情報は、大きな森の中の数本の樹木に過ぎない、ということを謙虚に意識することが重要です。最終的には、森の全体像が視聴者に伝わるようにしなければなりません。日々、情報を追いかけ、勉強もして、問題の全体像を把握し、分かりやすく伝える必要があります。

 こうした取材を通じて、他の人が知らなかったこと、気づかなかったことを発見し、あるいは、他のジャーナリストとは違う視点で世の中に問うことができたときは、言葉にできない喜びを感じます。

 この仕事をしていると、自分の人生と世界史が重なってきます。「あの出来事が起きた日、自分はどこにいて、そのとき何を感じた・・」といったことをよく考えます。現代史の年表と自分の年表が重なりあう。国際報道のおもしろさはそこにあると思います。

■ 仕事の難しさ
「正確さ」、「スピード」、「内容の深さ」のすべてが求められます。特に重要なのは、「正確さ」です。「このニュースは、大部分は正しい」というのではダメです。細かいことまで、すべてが事実に基づいていなければなりません。はっきりしないことは、伝えてはならないのです。間違った内容がニュースとして放送されると、大変なことになります。視聴者の信頼を失うばかりでなく、その出来事の当事者、時には社会全体に迷惑をかけてしまいます。

 報道の仕事全般に言えることですが、この仕事は、膨大な「ムダの連続」です。会えるかどうかわからない人、起きるかどうかわからない出来事に対して、常に準備をしておかなければなりません。時にはその努力が報われることもありますが、まったくの徒労やムダ足に終わることも多いです。見込み通りに事が運ぶことは、むしろ少ないと思います。この仕事につくからには、膨大な時間と労力を覚悟しなければなりません。

 仕事に関わっている時間がとても長く、プライベートの時間が大幅に狭められます。休みもなかなかとれません。いつも世の中の動きに合わせて働くのであって、自分の都合で働く時間を決めることができません。締め切りや特ダネ競争もあり、肉体的にも精神的にもきつい仕事です。健康で体力があること、いざと言うときにがんばりがきくことが求められます。また、あくなき好奇心と使命感も必要です。報道の仕事そのものが面白くないと絶対に続かない。報道という仕事には、そういった厳しさがあるのです。

(後半に続く)
Good Job!セミナー「国際的な仕事」?世界が相手だっ!編 #3 『ジャーナリストの仕事』NGOプレス報告(後半)