Good Job!セミナー「国際的な仕事」?世界が相手だっ!編 #2 『国際協力の仕事』NGOプレス報告
カテゴリ : NGOプレス
投稿者: Taki 掲載日: 2007-1-20

Good Job!セミナー「国際的な仕事」?世界が相手だっ!編 #2 『国際協力の仕事』NGOプレス報告

1月17日(水)、JICA地球ひろばにて、Good Job!セミナー「国際的な仕事」(JICA地球ひろば・NHK共催)が開催されました。

第2回目は、
JICA人事部人材開発チームの荒木康充さんから、「国際協力の仕事」と題して、JICA沖縄にて研修員と接する仕事や、フィジー事務所で担当した教育・産業振興分野の話など、JICA職員ならではの国際的な仕事に従事した経験をもとにして、国際協力の仕事について具体的にお話されました。

NGO特派員 召田安宏さんからのレポート


前回に引き続き、満員御礼。定員50名の席が完全に埋まるという盛況ぶり。

リクルートスーツの人が多いことに、改めて驚きを感じます。おそらく就職活動をはじめた大学3年生の人たちでしょう。大勢のリクルート姿の若者を前に進行役の人も「緊張してしまいます」っとちょっと弱気な発言も。


本日のゲストはJICA人事部人材開発チームの荒木康充さん。今日は職場を離れて、一人の人間として、国際的な仕事について話してくださいました。



■セミナー開始

荒木さんの話が始まると同時に、フィジーで最も有名な曲が流れました。このセミナーでは毎回ゲストが好きなCDを持ってきます。荒木さんの赴任先、フィジーを代表する曲で軽快で陽気なリズムが印象的です。

音楽は得意というほどではなく、カラオケ行くと人にマイクとられるタイプの荒木さん。子どもの頃は、非情にやんちゃでお調子者。よく走り回って、学校の先生に怒られていたそうです。

Q.子ども頃なりたいと思ったのは?
A.俳優になりたいと思っていて、今もその夢は捨ててません(笑)。
 東京ラブストーリーに出演した織田裕二とキャラかぶるんじゃないかって。
 後方にいたJICAスタッフ大爆笑。参加者には何故笑いが起きたのか分からなかったようです。

Q.国際的な仕事をしたいと思い始めたのは?
A.JICAで働くなんて思っていませんでした。
 30年くらい前に日本が一着になるかもしれないスポーツがあったんですけど、なんだと思います?(会場のみなさんに聞いてみる)

バレーボール!「ではなくて」
体操!「おしい。」
水泳!「はもっと前!戦後の話!!」(笑)

「答えは“マラソン”。瀬古選手が全盛の時代、レース前に有望な選手にインタビューにいくわけですよ。ほとんどの選手は『○○選手がライバル』と答える中、タンザニアのイカンガ選手は『ライバルはいない。走る人はみんな友達、戦うのは時間だけ』と答えた。その言葉が心にひっかかり、心のゆとりについて考えました。」

Q.大学で勉強していた頃は?
A.実は理系なんです。国際協力と関係ないことをやってました。

Q.それはなぜ?
A.自分が得意な分野で大学を受けようと思って、英語が苦手で数学が得意=工学部。その中でも電子工学が人気だったから。

Q.英語が得意でなかったそうですが、フィジーで苦労したことは?
A.夢を提供しなきゃいけない立場なんですが、本当に苦手なんですね(笑)。
 JICAは非情な組織なんですよ。英語できないことを知って採用、英語が必要な仕事をやらせるんです。英語で人と話す機会が必ずあって、フィジーでも同じ。一対一ならまだしも会議では・・・。


「誰かボクの英語わかった人いる?」って聞いてみるそうです。誰かが手を挙げたら、代わりにもう一回説明しろ、っというそうです。型破りなスタイルですが、「お前ネイティブなんだろ」っと文句をつけたりを繰り返し、自らのボギャブラリーを増やしていく。

Q.今一番関心があることはなんですか?
A.みなさんのリクルートですね(笑)
 どんな人がJICAにきてくれるのか楽しみです。仕事以外では、息子と娘を笑わせることに関心あります。5歳と2歳、どんなコミュニケーションをすれば笑ってくれるのかな?って。

これまでのやり取りを見てもらうとわかりますが、とても明るい方です。荒木さんの人となりが分かったところで、話は本題へ。



■個人的な話

「いつも仕事でJICAの理念だとか活動のことを話す立場ですが、今日は自分自身のことを話します。」という一言から講演が始まりました。

「まず、国際協力の仕事ってどんなイメージをもっていますか?」

目の合った参加者に次々と聞いていくと、

『世界の平和に貢献する仕事』
『日本を必要としている国に対して支援する仕事』
『(パンフレット見せてながら)青年海外協力隊みたいな感じ』
『日本以外の国のために働く仕事』

などなど。

「国際協力の仕事を大きく分けると二つあります。前線で働く仕事(協力隊・専門家etc)と、枠組みを作る仕事(後方で支援したり、優先する課題はなんなのかを考える)の二つかな。」

「例えば、テレビ番組。枠組みをつくったり、視聴ターゲットを考えたり、視聴率の目標などを考えるのはプロデューサー。進行したり、演技したり、そういう仕事もある。国際協力も同じ。現場で、実際に目に見える仕事をする人もいれば、裏の見えなにくい場所で仕事をする人もいます。今日は国際協力のプロデューサー的な役割のお話をしましょう。」



(1)ふりかえると12年

荒木さんがJICAに入ったのは今から12年前、神戸の震災があった年でした。これまでの経歴をまとめると、


○JICA沖縄で研修を担当

○社会開発調査部(地下水開発、保健開発計画)

○国内事業部

○海外(フィジー)

○人事部で採用担当

社会開発調査部にきたとき、この部署でやっていけるのか不安に感じたそうです。
テトリスのように仕事が次々とふってきて、うまくさばけないとゲームオーバーになってしまうような感覚。

国内事業部では、全国18ヶ所の事業方針をつくる担当だったが、ようはクレーム対応係。研修員がケガした、喧嘩したときの対応をしていたそうです。そんな仕事を経て、はじめて組織というモノについてを考えたそうです。

「それまではもっと良いサービスを提供するために、働く環境をどうよくするか考えていた。」

話は時をさかのぼり、JICAの活動が世に知られていない時代、NGOと同様に寄付団体と思われていた時代のこと。

「市民から寄付の電話がかかってくると、『うちはやっていません』っとガシャって切っていたんですよ。」

それではいけない、っと考え、全国にJICAのサポーター100万人で対応しよう!という構想を立て、電話対応の改善が行なわれました。

「水商売の人はスゴイ。一度来店したお客さんの顔や好みなどを全部覚えている。プロだったらそれを覚えておかなきゃダメ!国内機関の職員の仕事にも必要なこと。」

(2)国内での仕事

最初に配属されたJICA沖縄では、海外から技術を学びに来る研修生が参加する研修コースの企画・運営管理をされていたそうです。入って早々、隣に座っていた先輩に「半年で追いつきます」っと宣言したそうですが、追いつけなかったみたいです(笑)

研修生のニーズにあわせたり、あわなかったものを改善したりする仕事。研修コースがうまく進んでいるか確認したり、問題が起きたときはトラブル処理。研修が終わった後は、研修員みんなにうまくいったか、なにが問題だったかを聞くコトも。

中でも覚えているのは、さんご礁コースの建て直し。

“さんご礁”と銘打っているが、研修の大部分は東京。もっと沖縄で勉強したかったという声があったそうです(当然かも・・・)。沖縄の土壌は赤土は侵食しやすく、川に流れでてしまう。さんごは水の透明度が悪くなると死んでしまうので、汚れをはかる必要があった。一般的に高価な分析器が必要だが、沖縄の人はビーカーと簡単な道具で調べる方法を開発して、それを途上国に転用するためのコースだったそうです。

■評価は難しい

インドネシアで母子健康保険プロジェクトの評価をまとめる仕事のとき、日本から教えに現地に入っている専門家はよくないと評価する。でもインドネシア側はよいプロジェクトだと評価し、インドネシア事務所もまた違う評価を。たくさんの人にあって、評価のやり取りをして、文章をまとられたときは涙が出るほどうれしかった。

■気持ちを伝える難しさ

シリアからきた研修員が突然体調を崩すことがあった。落ち着くまでつきっきりで看病したが、退院したとき最初に言われた言葉は「生活費、くれ」。なんでお金?そのときはただただショック。

遠方で一人研修を受けている人が一人で寂しくないのか、気をつかって2時間かけて訪問したときのこと。「いま洗濯してるから。かまっている時間ない」って。

こちらがどんなに気を使っても、相手にも生活・リズムがあり、伝わっていないことも多い。

研修生が泊まったホテルで騒いだ拍子に、タバコの火でふとんに穴があくという事件が起きたときのこと。真剣に説教したとき、「ボクが吸った」と研修員の一人が名乗りでた。でも、彼はタバコをすわない。仲間を守ろうとしたミャンマー人の、心の清らかさを感じた瞬間だったそうです。

「自分自身も成長しないとな。」

「国際協力では、インフラなどの協力も必要だが、人の心に残る協力が重要で“心の架け橋”を築いていきたい」と荒木さんは言います。

援助を評価する際、どれだけ人の心に残っているかという指標があっても面白いのではないでしょうか。
話がひと段落したとろこで会場に目を向けてみると、制服姿の女子高も参加していました。


(3)海外での仕事(フィジー)

赴任した国はフィジー。人口は28万人ほどですが、南太平洋諸国の中でも大きな国。ちなみに最も少ない国ツバルで1万人。

その南太平洋諸国の12カ国が共同で大学を作り、遠隔教育を実現するため、海底ケーブルを繋げられるかというプロジェクトに携わっていたそうです。

■実感したこと

「いろんな人の話を聞き、自分の視点をもつこと。センターピンを外さない。ボーリングでは“センターピン(1ピン)”に当たらないと、ストライクが取れない。仕事も同じ。」っと荒木さん。

フィジーでは、デジタルディバイドの仕掛け役として、オーストラリアや南太平洋諸国と協調して、同じ島国として何ができるのかを模索していました。

「ルールがありながらも、現場の声を生かしていくかが、国際協力の分野で必要となってくる能力なのかな?。」

プロジェクトの中でも、個性の強い専門家がいると浮いてしまう。浮いたままだと、次第に分離してしまう。
チームのバランスをとるために生かして、サポートしていく仕事もしたそうです。



■学んだこと(尊敬できる人との出会い)

「日本のものさしで相手の国をはかることはできない。」

荒木さん曰く、現地で尊敬できる人と出会うと世界観が変わるらしいです。

「みなさんも現地で尊敬できる人に出会ってください(笑)」

それ以外にも、
「新たな経験は無理してでもやったほうがよい。」とか、
「大きな視点、小さな視点をあわせて持つことが必要。」とも。

「落ち込んだ時期もあります。何が自分にできるんだろう、よし!やってみようと取り組んだことが、いろんな人に評価してもらえた。そして、自分もがんばればやれるんだ、という自信を得ることできました。」

「日本人は現場重視。大きな枠組みで、現場はどういう取り組みをしているか、JICAはどういうことをしているか。現場だけでは極論になってしまうので、両方の視点を持つことが大事。」


(4)国際協力の仕事ってなんだろう?

そんな荒木さんが考える“国際協力の仕事”とは、

●人で苦労し、人で成長する仕事
 苦労を乗り越えたり、尊敬できる人と出会うと、成長する。
説得する事が国際協力の仕事だと思いがちですが、人の話を聞く仕事。

●学び続けることが前提
 どんどん新しいことを吸収して、大局観を身に着ける。
考える続け、強い意志をもって実行する。
多少まわりから反対があったとしても、賛成してくれる人は必ずいます。

●喜びを分かち合える仕事。
 喜んでくれる、感謝してくれる人がいる。
役にたっている実感がある仕事。

だそうです。

Good
Jobセミナーの第一回目にも「一歩踏み出そう」というニュアンスのアドバイスがありました。つらいときでも、一歩踏み出してきた人たちの言葉には、重みがありますね。


予定していた時間をオーバーしながらも、まだまだ話したいことが一杯あったと荒木さん。進行の関係もあるので、ココラで一区切り、会場の参加者と質疑応答がはじまりました。



○質疑応答

Q.ニーズを引き出すためにはどういうコミュニケーションが必要でしょうか?
A.すぐには難しい。まずは信頼関係を築くこと。
 いきなり「何が欲しい?」って聞かれても戸惑いますよね?

相手の話を聞く。相手がどんな価値観を持っているか聞き、自分をよく知ってもらうプロセスが必要です。JICAでいうコミュニケーションは“人と信頼関係を築けること”。お前とだったら一緒にやりたいな、っと感じてもらうことが信頼関係なんじゃないでしょうか。

Q.日本のODA総額が減っていますが、JICAの仕事も減っているのですか?
 また、その対策は?
A.世界のODAは、ある事件をきっかけに増えています。9.11です。アメリカ・イギリスはテロを撲滅するためには貧困を削減することが大切だと考えている。でも日本の中身は内向き。海外のニュース番組を報道する機関ってありませんよね。日本の新聞は国内事情を発信していく傾向が強いと記者出身の人に聞いたことがある。『本当ににそれでいいのか』と、JICAの理事長緒方さんが声をあげています。大切なのは国際益を考えること。世界が崩れたとき、日本って生き残れるのでしょうか?

減っていく中、「減ってます」っと言うのは簡単。働いている人も人手やボーナスが減るので辛いところですが、痛みわけ。どう質をよくしていけるか。さらに質を高めていくことを考えていくことをしています。

Q.ご自身が考えている“新しいもの”にどのように取り組んでいかれますか?
A.人事採用担当は民間の企業とまったく変わらないんです。
 組織を強くするために、人的資源管理をどうすべきか。

民間の人とどれくらい差があるのかを知るため、ビジネススクールに入りました。企業の第一線で活躍している人と3時間ディスカッション。経済や金融など、各々の専門分野では負けてしまいますが、人をまとめる能力はついたんじゃないかと。

 サッカーって、ゴールを決めるFWが面白い。でも、やっているとだんだんDFが面白くなってくる。どうやったら、もっと良いサービスを提供できるか、もっと強い人材になっていけるかが現在の関心事項です。

Q.新潟からきました。尊敬できる人のエピソードを教えてください。
A.尊敬している人は、南太平洋大学の副学長の人。
 島サミットのとき、その人に小泉首相とやりとりをしたらどうかと提案して、それが実現しました。彼は小泉首相に『JICAはしっかりやってくれている』と言ってくれたそうです。会談が終わると、一番最初に私に駆け寄ってきて握手をしてくれました。高い地位にありながら、大学のためにどうしていくべきかを考え行動しているJICAの職員である私のことを見てくれていたんだな?っと感動しました。

Q.協力隊の人がそのプロジェクトの評価に関われるのですか?

A.評価の視点は難しいですね(しみじみ)。協力隊の大半の人は、『教えるつもりでいったけど、教わったことが多かった』と語っています。国際協力はこちらから教えるものではなくて、学ぶこと。

評価に関われるかは難しいですが、『自分はこういうことやってきた』っと次の人に伝えて、階段状につなげていく必要がある。のこぎりの歯みたいに、ジグザグ(その人がいる時は上がって、新しい人が始めるときは下がって)ではいけませんね。

Q.NGOとJICAの違いは?
A.NGOとJICAでは見ている視点が違う。NGOは機動力が高く、援助先を自分で選べる。国レベルでみて、なぜその村を援助するか戦略が必要。今はお互いが協力してやることが多くなりました。

Q.協力隊の帰国後の進路とJICAの対策は?
A.実際には厳しいところがあります。
 協力隊という経験を評価してくれない企業も中にはあります。でも、OB&OGが企業で活躍して、評価が上がってきています。社会全体でそういった人たちをどのように評価していくかも大切。これからは、いろんな経験をした人が評価されるようになってくるはず。“地球ひろば”でも進路を支援する部署も整えています。

Q.JICAで足りないところは?
A.いろんなところと一緒にお金を出していくこと。
 複数のドナー国がバスケットにお金を入れて、集まったお金をオーナーの国が責任をもつ援助方式にになれていない。JICA、日本として方針を出してイニシアティブをとっていくことが必要。

Q.2年ごとに異動しているが、本人の希望ですか?
A.最初は希望を出す機会がなかったんですが、沖縄はいい所でした。3割、3分の一は希望がとおっています。年に一度希望を書く機会があり、こんな活躍ができます!とPRして、希望が通るようになっています。

Q.日本の人たちに途上国の人々のことを伝える仕事はJICAでもできますか?
A.海外だけが現場だとは思っていません。
 国内の人にメッセージを伝えていくことも真剣にがんばっています。
テレビ番組を作って提供する方法もありますが、お金がかかるんですね。

広報にたくさんのお金をかけるよりも、そのお金で何人救えるのかと考えることもあります。宣伝は基本的にやらず、広報はやります。第三者の目を通して伝えていくことが広報だと考えています。伝えていくのはボランティア、専門家であったり。新聞など毎日15誌ぐらいがJICAのことを取り上げてくれています。協力隊OBがコラム欄を持っていたり、自分のラジオ番組をもっていたり。

Q.“顔の見える協力”をどのように実践していますか?
A.いろんな解釈があって難しい。アメリカにもJICAと同じような組織があります。日本という国が相手の国のことを思って、相手国の発展に協力しているかが重要。相手の人たちに共感して、必要としていることに、話を聞いて、いつでも支援できる姿勢が、顔の見える協力につながるのではないでしょうか。

2004年3月でたJICA宣言では、現場主義を方針にし、海外に人を出しています。権限も現場の人に移している。タイムリーに現場にあった協力をしている最中です。

■最後にメッセージを

「人。人がすべてと思ってもいいかも。人を大切に、人との関係を大切に。自分自身も含めて、人をどのように輝かせていくかをもっともっと考えてもらいたいです。」

「ダイヤモンドってどうやって磨くかしってますか?ダイヤで磨くんです。それと同じように、人は人じゃないと磨けない。いろんな人と共感して、ぶつかって、苦しいことを共有したり、喧嘩したり。是非いろいろな人とぶつかり合って欲しいです。情熱を傾けて、これだけはやったというものをつくることが大切です。」



■取材を終えて

私も、海外で尊敬する人に出会ったことがあります。学部の研修で一ヶ月間フィリピンに滞在していた時です。ビザの関係で一ヶ月間滞在できない!っというハプニングが発生しました。研修が途中で終わるかどうかの瀬戸際、現地で面倒を見てくれてたおばさんが、『あんたたち、全員わたしの養子にしてやる!』って(笑)。会ってから2週間しかたってない日本人の学生を15人も!

ホスピタリティ溢れる対応に、ただ手助けしてあげる、という気持ちで行っていた自分を恥じたことをよく覚えています。

「何が欲しい?」と聞きに行くのではなく、心と心の架け橋になる、それが「国際協力の仕事」なんだと、強く感じました。

文責:召田安宏