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DESCRIPTION:★10/14『在日朝鮮人「慰安婦」宋神道のたたかい「オレの心は負けてない」』上映会のお知らせ★\n\n■日時：２００７年１０月１４日（日曜日）１８時開場、１８時半上映\n■場所：文京区民センター３Ａ会議室（３?Ａ）\n　<a href="http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_academy_shisetsu_gakusyubunka_kumincenter.html\n■上映作品：在日朝鮮人「慰安婦」宋神道のたたかい「オレの心は負けてない」（2007制作、95分）\n　http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7486/eiga/index.html\n■資料代：５００円\n■主催：ハイナンＮＥＴ（中国海南島戦時性暴力被害者への謝罪と賠償を求めるネットワーク）\n　http://hainannet.org/\n　http://blog.goo.ne.jp/hainan-net\n　<a href="mailto:hainan-net@mail.goo.ne.jp">hainan-net@mail.goo.ne.jp</a>" target="_self">http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_academy_shisetsu_gakusyubunka_kumincenter.html\n■上映作品：在日朝鮮人「慰安婦」宋神道のたたかい「オレの心は負けてない」（2007制作、95分）\n　http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7486/eiga/index.html\n■資料代：５００円\n■主催：ハイナンＮＥＴ（中国海南島戦時性暴力被害者への謝罪と賠償を求めるネットワーク）\n　http://hainannet.org/\n　http://blog.goo.ne.jp/hainan-net\n　<a href="mailto:hainan-net@mail.goo.ne.jp">hainan-net@mail.goo.ne.jp</a></a> \n\n（以下、在日の慰安婦裁判を支える会ＨＰより）\<a href="nhttp://www.geocities.co.jp/WallStreet/7486/eiga/index.html\n\n　この映画は、中国で7年間、日本軍の「慰安婦」を強制された宋神道さんが、戦後の日本で沈黙の半世紀を生き、日本政府を相手に10年の裁判をたたかった過程を描くドキュメンタリーである。\n　宋神道さんは1922年、朝鮮の忠清南道に生まれた。満16歳の時（1938年）、騙されて中国中部の武昌で「慰安婦」をするよう強制される。19歳の時に初潮を迎え、その後たびたび妊娠。漢口で子どもを産むが、中国人に預けて岳州に移動。「部隊付き」として、応山、長安などに出かけることもあった。咸寧で日本の敗戦を知るが、行く宛もなく、「結婚して日本に行こう」という日本軍人の言葉に一縷の望みを託して日本へ。しかし1946年春、引き揚げ船で博多港に着いた途端、その軍人に放り出されてしまう。その後、宮城県在住の在日朝鮮人男性河再銀さんに救われ、河が亡くなる1982年まで共に暮らしたが、現在は独り暮らし。1993年4月、日本政府に対し「謝罪文の交付」と「国会での公式謝罪」を求めて提訴した。\n　この裁判を支援するため、1993年1月「在日の慰安婦裁判を支える会」が結成された。「支える会」は、代表は決めない、事務所を持たない、専従も置かない、という「ないない三原則」に則って活動した。\n　映画は、宋さんと「支える会」が出会い、共に泣き、笑い、歯ぎしりしながら裁判をたたかう過程、そしてこの裁判を通して宋さんが歩んだ被害回復の過程を描き出す。裁判は、1999年10月東京地裁、2000年11月東京高裁で請求棄却、2003年3月に最高裁でも上告を棄却され、敗訴が確定したが、敗訴確定後の最後の裁判報告集会で宋さんは言った。\n" target="_self">nhttp://www.geocities.co.jp/WallStreet/7486/eiga/index.html\n\n　この映画は、中国で7年間、日本軍の「慰安婦」を強制された宋神道さんが、戦後の日本で沈黙の半世紀を生き、日本政府を相手に10年の裁判をたたかった過程を描くドキュメンタリーである。\n　宋神道さんは1922年、朝鮮の忠清南道に生まれた。満16歳の時（1938年）、騙されて中国中部の武昌で「慰安婦」をするよう強制される。19歳の時に初潮を迎え、その後たびたび妊娠。漢口で子どもを産むが、中国人に預けて岳州に移動。「部隊付き」として、応山、長安などに出かけることもあった。咸寧で日本の敗戦を知るが、行く宛もなく、「結婚して日本に行こう」という日本軍人の言葉に一縷の望みを託して日本へ。しかし1946年春、引き揚げ船で博多港に着いた途端、その軍人に放り出されてしまう。その後、宮城県在住の在日朝鮮人男性河再銀さんに救われ、河が亡くなる1982年まで共に暮らしたが、現在は独り暮らし。1993年4月、日本政府に対し「謝罪文の交付」と「国会での公式謝罪」を求めて提訴した。\n　この裁判を支援するため、1993年1月「在日の慰安婦裁判を支える会」が結成された。「支える会」は、代表は決めない、事務所を持たない、専従も置かない、という「ないない三原則」に則って活動した。\n　映画は、宋さんと「支える会」が出会い、共に泣き、笑い、歯ぎしりしながら裁判をたたかう過程、そしてこの裁判を通して宋さんが歩んだ被害回復の過程を描き出す。裁判は、1999年10月東京地裁、2000年11月東京高裁で請求棄却、2003年3月に最高裁でも上告を棄却され、敗訴が確定したが、敗訴確定後の最後の裁判報告集会で宋さんは言った。\n</a>    　「裁判に負けても、オレの心は負けてないから」 \n　裁判に負けても、負けた気がしない。そう言い合える関係が、宋さんと支える会、支援者たちとの間で築かれた10年だった。\n　しかし、「慰安婦」問題はまだ終わっていない。国家犯罪を犯した国が、責任を負っていないからである。\n　宋さんは今も、この日本で、二度と戦争をしてはならない、自分のようなオナゴをつくってはならないと、訴えている。 
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