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X-WR-CALNAME;VALUE=TEXT:来日講演会「アチェ：紛争から災害へ?女性と子どもの生存のための闘い」
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DESCRIPTION:★アチェ：紛争から災害へ?女性と子どもの生存のための闘い★\n\nハイラニ・アリフィンさんは、アチェにおける女性の人権問題、とくに紛争下\nにおける女性と子どもの問題に取り組み、避難民女性支援などの活動をおこな\nってきました。また、国連人権委員会（ジュネーブ）にアチェ及びその他のイ\nンドネシアの紛争地の女性と子どもの実情を訴えに行くなど、国際的な人権活\n動の場へも積極的に参加してきました。スハルト政権崩壊後紛争が激化したア\nチェでPBI（ピース・ブリゲード・インターナショナル）の保護対象となった\nこともあります。津波災害後では避難民キャンプでの緊急支援、被災地女性グ\nループの生計向上といった活動を行なっています。\n\nハイラニ・アリフィンさんを囲んでアチェの女性や子どもたちが紛争、災害\nを生き延びるための闘いについて話を聞きます。是非ご参加ください。\n\n■日時：2005年12月12日月曜日午後7時?8時50分\n■場所：東京ウィメンズプラザ　視聴覚室A（表参道駅徒歩5分）\n■参加費：500円（会員・学生）、700円（一般）\n■スピーカー：ハイラニ・アリフィンさん\n（シアークアラ大学法学部講師、NGO「人道のための女性ボランティア」代表）\n■通訳：松野明久さん（JANNI代表、大阪外国語大学教員）\n■共催：アジア女性資料センター、JANNI(日本インドネシアNGOネットワーク）\n　　　　アムネスティ・インターナショナル日本、反差別国際運動日本委員会\n　　　　(IMADR-JC）、wamアクティブ・ミュージアム女たちの戦争と平和資料\n　　　　館、インドネシア民主化支援ネットワーク（NINDJA）（順不同）\n\n■お問合せは：〒150-0031渋谷区桜丘町14-10-211\n　　　　　　　　TEL:03-3780-5245  FAX:03-3463-9752\n　　　　　　　　<a href="mailto:ajwrc@ajwrc.org">ajwrc@ajwrc.org</a>  <a href="http://www.ajwrc.org/\n\n======================================================================\n◇アチェの背景◇\n\nスマトラ島の北端にあるアチェ（正式にはナングロ・アチェ・ダルサラーム\n州）は人口約400万人。15世紀に成立したイスラム王国以来の独自の伝統、\n1945年独立後の中央政府との理念の違いから、1950年代にはスカルノ大統領の\n中央政府に対する独立運動が発生（ダウド・ブレエの反乱）。反乱はアチェを\n特別州とすることで収束したが、1970年代、今度は天然資源（LNG）開発が始\nまると、ハサン・ディ・ティロ率いるアチェ独立運動（GAM）が武力闘争を開\n始。この時、中央には国軍の強権的な治安政策を国家統一の基礎とするスハル\nト政権が誕生しており、アチェの独立運動は徹底的な弾圧を受けた。1998年、\nスハルト体制の崩壊とともにアチェ人の独立要求が公然化したが、中央政府は\n独立を拒否。2003年、メガワティ政権下で再び封鎖・弾圧政策に逆戻り。\n2004年、ユドヨノ政権成立とともに水面下での和平交渉がスタートし、2005年\n8月、特別自治を柱とする政府とGAMの和平協定が調印された。その後、GAMは\n武装解除・帰還を進め、一方政府はアチェの特別自治に向け法的整備を進めて\nいる。\n2004年12月のスマトラ沖大地震・インド洋津波によってアチェ州では約17万人\nが死亡したと推定される。紛争地であったため情報の伝達が遅れ、国軍の治安\n管理政策によって迅速な救援活動が阻害された。50万人の避難民が発生してい\nるが、今なおテント暮らしで、飲料水をNGOの配給に頼り、国連などが行なう\ncash" target="_self">http://www.ajwrc.org/\n\n======================================================================\n◇アチェの背景◇\n\nスマトラ島の北端にあるアチェ（正式にはナングロ・アチェ・ダルサラーム\n州）は人口約400万人。15世紀に成立したイスラム王国以来の独自の伝統、\n1945年独立後の中央政府との理念の違いから、1950年代にはスカルノ大統領の\n中央政府に対する独立運動が発生（ダウド・ブレエの反乱）。反乱はアチェを\n特別州とすることで収束したが、1970年代、今度は天然資源（LNG）開発が始\nまると、ハサン・ディ・ティロ率いるアチェ独立運動（GAM）が武力闘争を開\n始。この時、中央には国軍の強権的な治安政策を国家統一の基礎とするスハル\nト政権が誕生しており、アチェの独立運動は徹底的な弾圧を受けた。1998年、\nスハルト体制の崩壊とともにアチェ人の独立要求が公然化したが、中央政府は\n独立を拒否。2003年、メガワティ政権下で再び封鎖・弾圧政策に逆戻り。\n2004年、ユドヨノ政権成立とともに水面下での和平交渉がスタートし、2005年\n8月、特別自治を柱とする政府とGAMの和平協定が調印された。その後、GAMは\n武装解除・帰還を進め、一方政府はアチェの特別自治に向け法的整備を進めて\nいる。\n2004年12月のスマトラ沖大地震・インド洋津波によってアチェ州では約17万人\nが死亡したと推定される。紛争地であったため情報の伝達が遅れ、国軍の治安\n管理政策によって迅速な救援活動が阻害された。50万人の避難民が発生してい\nるが、今なおテント暮らしで、飲料水をNGOの配給に頼り、国連などが行なう\ncash</a> for work（雇用対策事業）ぐらいしか仕事がない住民も多い。国際社会\nは多額の援助を約束したが、政府の復興事業がスローペースなため、住民の不\n満が高まっている。\n======================================================================
SUMMARY:来日講演会「アチェ：紛争から災害へ?女性と子どもの生存のための闘い」
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